8月15日
11時日暮里集合
3時なりた発
7時香港着
中国入国、ホテル着、12時
入国審査に時間がかかりすぎ。この日は機内食ダケだった。
そして早めに寝た。
中国は一番行きたいと思っていた国だったので今回いけて嬉しかった。
でも滞在場所は香港の隣の上水だったみたいでビルが並んで人も町もきれいだった。
ホテルの窓からの風景はたくさんのホテル、ビルが立ち並び、本当に先進国の都会って感じだ。下手したら日本より最新技術をとりいれているのかも?
8月16日
11時フロント集合
そしてホテルの中華を食べた。藤岡さんがとても親切だった。
本場中華は、日本で食べるものとは違って見た事ないモノも多くてスゴクおいしかった・・。
そしてまた、出国入国を繰り返した。この日はお昼までに3カ国をわたった。
そして、香港を発。ついにこの旅の目的、カンボジアについた。
どんな場所とドキドキしていたが、空港はとてもきれい。お香の香りがした。
なんか仏教文化なだけありスゴイそれっぽくて、インドやバリみたいな雰囲気で意外。
空港をでて、街にでたが想像とはちがかった。
首都、プノンペンは栄えている。
そしておどろいたのが、交通。信号なんてないが、車がはしりなんといっても大量の原チャがいきかっている。
そしてソコにはヘルメットもせずに一台に2~4人ものっていてカンボジアでは原チャが一番の交通手段なんだなぁと思った。ファミリーもよくみかける。
そして道や、公園いたるところに人があふれていて、夜にもかかわらずにぎやか。
人々は何をするわけでもなくただ、すわって、お酒をのんでいたり、おしゃべりを楽しんでいる様子。屋台もタクサンでていて、お祭りのようだ。
アルイミで・・進んだ文明の中で娯楽をはじめ何に関しても機械が発展していて、ルールや規則、時間に縛られている先進国とちがって開放的に感じる。
カンボジア最初の食事は、とてもオシャレなレストランだった。
ヘルシーでとても美味しかった。ホテルもわりとキレイだし
でも中国などで、観光気分になっていた部分もあったのでちょっと驚いたコトもあって不安になった。バスからおりたら、真っ黒く焼けた子供がすごい笑顔で手を差し出して物乞いする姿をみて、だいぶショックだった。
明日はもっとびっくりすることが多いのだと思う。
8月17日
6時ホテル発
そして3時間半の道のりを経て小学校の村へ。
かなり風景は広大だった。道はどこまでもコンクリートなのだけど、その道沿いには木や土で作ったような今にも崩れそうな家が立ち並んでそこには、子供たちが遊んでいる姿がよく見られた。ちょっと奥地の村あたりにくると、土煙をあげて走るヨンクがめずらしいらしく、赤ちゃんをダッコした子供が珍しそうに眺めていた。
そして学校へ。
学校付近で制服を着ている子供たちがいた。
見知らぬ土地、日本からくる、うちらを待って出迎えてくれたのだ。
私は入ったばっかりだけど、この子らは自分らの生徒なんだと漠然としていたのが一気に鮮明になって目の前に表れたので、胸がいっぱいになってなぜか震えが出た。
校舎の前で200人の小学生たちが拍手で出迎えてくれた。皆おそろいですごくかわいい・・。
日本の同い年くらいの子供より、随分小柄な印象をうけた。
机に座る子友達に文房具を配ったら立って手を合わせてお礼していいこだなぁ。
子供たちは日本人14人に何に対しても興味深々で、グラフィスでもってきた、遊び道具をもらって本当楽しそうだった。日本の同じくらいの子供たちはシャボン玉とか風船にここまで興味もてるのかなぁ?
でも少し驚いたのは、うちらがランチボックスを食べている時も何をする時も、子供どころか、その大人までじっとまわりで何かもらえるのではないかと見ていたことだ。折り紙なども大人が一番に手をだし、受け取って眺めていた。そしてお弁当をあげたらとても大事そうに受け取ってすごい微笑みでお礼を言ってくれた。うちがただイラナイものなのに、申し訳なく感じた。
人々の様子ではよく言う飢餓とか、病気などマッタク感じられなかったけど
本当は真っ白だったんだろうブラウスが埃まみれになったのか、泥などで洗ったのか、土っぽくてどの子も真っ黒だったのが印象的だった。
出発前に地元の人たちとクメール語の本を一緒に見ながら発音や会話をしたのが楽しかった。
そしてその学校に別れを告げてプノンペンのホテルに戻りその後鍋を食べにいった。今まで食べたことないものが入っていて驚いた。
私は朝食にあったったらしく、今日からすごい下痢女のはじまりでした。ショック・・
お腹壊すだろうというのは、旅する前から承知だったが、他の子でお腹壊した子はいなかった。ちょっと用心が甘かったのかも~^^;
私のかかった腹痛はマッタクお腹がいたくないので、トイレに行きたいって思う直前まで、気づかない。あるいみとても危険。
長時間の車での移動は不安すぎる。トイレの横にずっといたい。
8月18
今日も朝はやかった。
皆正装して、カンボジアのえらい人と待ち合わせ場所のヌードルレストランに行きご馳走になりつつそのまま2時間半ほどベトナム国境付近まで移動。
そこの村の市役所らしき場所でつくなり沢山の料理がでてきた。
この市役所の料理は、カンボジアの通訳さんも、めずらしいというくらい、
本当に郷土料理?らしい。
私は生春巻きがかなり気に入って、野菜やどくだみ、お肉を巻きまくって食べまくってしまった。(基本的に、現地の水はすぐお腹こわすらしいし、お皿も自分らでふいてから使わないと危ない、ってくらいなのに。)
そして、ココナッツのごはんも・・手でとってまるめて、アーモンドと砂糖で作った調味料につけて食べるんです。
とてもおしかった!!!!!!!
って食べてたのは私だけで・・・
皆このときの料理が一番まぞかったらしい・・
少し進んで病院建設予定地をめぐった。
昨日とはまた違った風景だった。今日はもっと緑が豊かで動物もいて、TVで見るアフリカのような、サバンナのような・・野生動物が走り回ってそうだ。
自分が世界の中心にいるような気になるような場所・・
360度ひどい具合に広大すぎる。
地元のTV局のカメラマンもきて、色々な場所の病院建設予定地を見て回った。
8月19日
だいぶホームシック。
今日はついにゴミ山の日。キリングフィールドは道が崩れていて行けず、直接ゴミ山にむかった。道が土なだけで、埃はすごいけどいつものにぎやかな街中の風景と変わらないものだと思った。けどよく見たらその先は・・・。高く積みあがったゴミの山、山。
すごくドキドキした。
うちはスエット、長靴のフル装備で臭いもものすごいものを想像して事前からひどさのハードルをあげていた?というかものすごいものを想像していたから、思ったよりはダイジョウブだった。(それに雨もあまり降っていなかったし頂上までいかなかった)
ヘドロでドブ+下水+うんこみたいな臭いだった。頂上までいかなかったけど進むにつれて発酵した臭いもプラスされる。頂上はさらに臭いがひどいらしい。やっぱこう考えるとひどすぎるかも><今想像したら、自分でもぞっとする。
ビーサンのハダさんと、ツッシーは足を泥まみれにしてでも先に進んだのが本当にすごいと思った。そしてそのゴミ山の人々は・・・。そのゴミの中に家を建てて果物を並べたりワッフルを作っていたりして生活している。そのつまれた果物には色が半分みえないくらい蠅がついている。
ちょっと自分の現実とはかけはなれすぎていて正直ヒドイとも同情をかける感情すら生まれなかった。どうみても、映画とか、ゲームのような灰色な仮想でそれを夢で彷徨い込んでしまったような感じだった。自分がその場所でその空気に触れても実感がわかないほど、この世の生活とは思えない。人々はトラクターが新しいゴミを運んでくる度にその場にかけよりお金になりそうなものをあさる。もちろん大人もいるが子供も沢山いる。その場で働いている子には近づくことができなかったが、ゴミ山の麓にいる子供、少年たちと絡むことができた。
一つの所では大人、子供たちが、何かを興味深そうに円をつくって眺めていた。
混ざって覗いてみたら、そこには小さな銀色のデジタル表示の計りがあって、そこに何かモノをのせて数字が出るたびに「オー」っと皆で喜んでいた。
きっとゴミ山からでてきたのだろう。
そしてもうひとつは足を洗うためのお水をかしてくれた少年たち。
ちょっとやんちゃそうで、ニタニタ笑いながらこっちを眺めている。日本から来たってコトを知ったら、「アジノモト!!」だって。
そしてハダさんがなくした草履の変わりに現地のおじさんが自分がはいていた草履をくれた。ハダさんはお金をさしだして、「これでも安いよ!」って言ったのにおじさんは一切受け取ろうとしなかった。うちはゴミ山で生活しているくらいだからどんな手段でもお金をほしいものなのだと思っていた。けれど首を横にしかふらないおじさんを見て、うまく言えないけど、ゴミ山でのゴミ拾いというものが彼らにとって立派な仕事なのだってことを分かったし、その生活に限りなく同情していた自分を反省した。
そして、正直、貧しい村や、市外、市場にいくと現地の人達は外国人を見ると何かもらえるか、金ずるにしか見えてないように思っていた部分もあったからおじさんがお金をうけとらなかったことが嬉しかった。
本当にその時、地元の人達の優しさに触れたようなきがした。
でも子供たちはケガしていても、治療はできなくてその傷に何匹ものハエがたかっていた。それでもきっとそのままだと思う。心配すぎる。
本で見たけど、あの場所はゴミとゴミが酸化して燃えて、有毒ガスが発生してけむりがあがり、それで病気になったり、麻痺したりして、ここでの生活では長生きは明らかにできないらしい。そしてゴミ山のトラクターにまきこまれて毎日のように人が死んでいる。
プノンペン市街が発展するにつれてあのゴミ山も大きくなって、でもゴミ山がなくなったら生活できなくなる人も出るわけだし、どうすればいいのだろう。
ゴミ山の頂上にいきたかった。
次このような機会があるのなら行きたい。
この日、ゴミ山に行った後数時間は頭真っ白だったし、夜寝る時、その風景がちらついてなかなか寝むれなかった。
きっと日本にかえってゴミ山を思いだして自分の生活と照らし合わせるたびに自分の今の生活を反省すると思う。