カンボジアスタディーツアーに参加するととりあえず決めたのはいいものの、正直不安があった。とりあえず後でキャンセルしたかったらできるからという事で勢いみたいなものが自分の背中を押してくれた。行ってみたいという気持ちは大きい。ただ大丈夫なのか。最初はそんな気持ちだった。
考えて見れば不安になるのも当然である。いまだ撤去されていない地雷が多くあり、発展途上にある非常に貧しい国。食べ物や水などの決していいとは言えない衛生環境。貧困が生む治安面の悪さ。おまけに、つい最近まで反政府組織のゲリラによる武力衝突まであった国だ。
海外へ行く機会は今まで生きてきて結構あった。家族旅行や中3の時にフロリダに行ったホームステイ。大学1年の夏には一人でフランスとスペインに1週間ほどだが行ってきた。しかし、それすべてが先進国の部類に入る。滞在中に衛生面、治安面に多少気を使うということはあったが、食べ物や水や氷の事まで気を使うということはほとんどなかったに等しい。
カンボジアに対してのただ漠然としたイメージ、しかもマイナスなイメージしか浮かんでこなかったので本屋に行ってガイドブックを探し立ち読みした。パラパラ読んでいくと「旅行者の健康管理」というページに目がとまる。そこには腸チフスやウイルス性肝炎、蚊から伝染するマラリアやらデング熱やらと明らかにまずそうな病気の名前が列挙されていた。また医薬品についての項目では市販されている医薬品は使用期限切れのものや中身にまったく別の成分が含まれているものもあると記述されていた。
次に目がいったのは「治安とトラブル」のページ。これによると1999年には反政府ゲリラ組織、クメール・ルージュの武力闘争が終息し、ここ数年の政治情勢は安定しているが、外国人旅行者を狙った強盗・レイプ・誘拐が増加の一途をたどっていて、犯罪の特徴として銃器が使用されることが特徴として挙げられ、プノンペン市内だけでも未登録の銃は15万丁以上あるといわれているらしい。
不安感はますます増えたが、同時に行きたいという気持ちはさらに大きくなった。
今後このような国に行く機会がまた巡ってくるだろうか。
今自分が生きている世界とは全く違う世界を見てみたい。
しかも、今回は小学校開校式とヘルスセンター建設予定地視察のために辺境の村やベトナム国境の地まで行くということだ。カンボジアに行く機会だってなかなかないのに、普通に旅行に行くだけでは行けないところまでも行ける。
行きたいという気持ちは確信へと変わった。
抱いていたイメージはすぐさま現実となっていった。カンボジア初の食事。とあるレストランでカンボジア人の現地のスタッフの方々と食卓を囲んだのだが、いざ食べようとなってせっせと皿やら器やら箸やらをティッシュ等で入念に磨きだすのである。不衛生な事が当然であるかのような行動に驚いた。それからというもの滞在中、毎食必ずやる習慣として身についてしまった。他に衛生面の話をすれば、トイレでは基本的には紙はなく横に付属されているシャワーヘッド付きホースから出る水で代用するらしい。もちろんそれはできなかった。ポケットティッシュを大量に持ってきてよかった。また移動中の道では地雷にやられてしまったのだろうか、両足がない人が道をはいつくばって移動している光景も見た。そしてカンボジアでの滞在先であるホテルに着きバスから降りた時だった。ストリートチルドレンだろうか。3人組の子供がこっちを見て手を振りながら笑っていた。思わず手にしていたカメラで写真を撮ると喜んでいる様子。何枚か撮るといきなり子供達から笑顔が消える。そして自分に向かって一斉に手を差し伸べてきたのだ。あまりの変化に驚いたが、すぐに金を欲しがっているということはわかった。
その時確かに、カンボジアの人達から見れば大金を持っていたかもしれない。1ドル紙幣をぱっと差し出せたかもしれない。でもできなかった。そんなことをしたら「あの外人は金をくれる」ということでそこらから子供達が集まってきて、たかっていたことだろう。基本的に外国ではこのような状況に遭遇したらひたすら無視というのはなにかで見たことがあるが、何よりあの子供達に働かなくとも外国人旅行者にたかれば金がもらえるという意識が芽生えてしまう。やはりそれは未来がある子供達のためにはならない。その時はそこまで深くは考えなかったが、冷静になって考えればそういうことになる。しかし、あの子供達にすればそうするしかないのが現実なのかもしれない。
翌朝、外の風景が一望できる食堂で朝食を取ったのだが、そこから雄大なメコン川を拝むことができた。早朝の太陽とオリエンタルな建築様式の建物が入り混じって壮大な風景だった。よくわからないがまさに自然あふれるアジアという感じ。神秘ささえ感じた。メコン川はチベット高原に始まり、中国雲南省を通り、ミャンマー・ラオス国境線、タイ・ラオス国境線、そしてカンボジアを通り、ベトナムに抜ける大河だ。大河という名に恥じない立派な川だった。アジアを感じたと言えば、後日だが普通のアスファルトの道を像が闊歩していたのには驚いた。場合によってだが像使いに言えば象が鼻で背中に乗せてくれるらしい。
この日は小学校の開校式が行われる。その小学校がある村まではプノンペン市内から車で数時間の長旅。途中まではまぁ整備されている方である国道を走るのだが、途中からは完全に砂ぼこりが立つような道に入る。窓を流れる風景も田園風景というか田舎になっていき、これから行く村はどのような所なのかとあれこれ考えたりしていた。
いきなり車1台がやっと通れるほどの細い道に入ったかと思えば、村のような所になってきていた。外国人が珍しいのか車が珍しいのか、道端を歩いている人々が覗き込むような目でこっちを見てくる。しばらく進むと車が止まる。
外に出て驚きを隠せなかった。一面に緑が広がりやたら高い木々が辺りを覆う。雨季のせいか大きな泥水でできた水溜りが沼のようになっていてヤシの木のようなものもある。
そこには家々もあるが、家というのか小屋というのか。ボロボロの板で作られた壁と藁葺き屋根で形成された高床式の住居なのだ。そして、遠くに見える間違いなくその風景から浮いている目新しい建物。まさにそれがあの小学校であった。
まさにウルルン滞在記。自分が体験したことのない異世界に降り立った感じだった。
子供達がつくってくれた花道を割れんばかりの大きな拍手の中進んでいく。
しばらくして、外にいっせいに並べられた机と椅子に子供達が座り、自分達があいさつをしたり、お偉い様達のあいさつが始まる。本当に小学校が建ったんだなと実感し、うれしく思えた。
持ってきたノートやら鉛筆やらのセットを子供達一人一人に手渡ししていった。
早くちょうだいといわんばかりに必死に手を伸ばしてくる子。自分の番が回ってきて、うれしそうにはしゃぐ子。渡した子供達誰もが前で手を合わし「オークン(ありがとう)」と言って、もらったノートと鉛筆を本当に大事そうに抱えていた。
自分の国の裕福さをリアルに感じた。と同時に自分がどれだけ恵まれているかを痛いほどわからされた。日本が裕福だというのはよく言われる事だし、生活していたりテレビのドキュメンタリーなどでそのように感じたことはあるが、実際に目の当たりにするのとはわけが違う。
そんな子供達の姿を見ていると胸からこみ上げるものがあり、そしてなんだか目頭を熱くさせるようなものがあった。そして自然と「がんばって勉強してね」と一人一人に声をかけていた。
世界にはどんなに勉強したくても勉強できない子供達がいる。どんなに学校に行きたくても行けない子供達もたくさんいる。お金もない。紙もない。鉛筆もない。教科書もない。
それに比べて学費は親に払ってもらい、勉強に必要なものはすべて揃っている。それなのに、授業中眠くなったら平気で居眠りをし、めんどくさくなったら平気で授業をサボる。そんな自分が恥ずかしく、本当に小さく、情けなく感じた。
テープカットを終え、昨晩歌うこととなったブルーハーツの「青空」を皆で歌った。
「生まれた所や 皮膚や目の色で いったいこの僕の何がわかるというのだろう」
これはその歌詞の一部だが、あの状況で歌うことでどれだけこの歌の歌詞が響いたことか。自分達と同じように笑い、泣き、はしゃいでいるあの子供達、村のおじいちゃん、おばあちゃん。皆同じ人間であり同じ地球に住んでいる。
その後、子供達と遊ぶことができた。それぞれが日本から持ってきたおもちゃを最初は不思議そうに見ていたが大好評でものすごく喜んでくれていた。
あの子供達の笑顔は最高にまぶしかった。心からの底から嬉しそうな顔をしていて真っ黒な顔から真っ白い歯を光らせて笑っていた。この笑顔を見た時、本当にここに来れてよかったと心底思った。
カンボジアの子供達の目はすごく透き通っていて、とてもまっすぐな目をしている。
まさに純粋無垢というか、ほんとうにかわいい。
サンダルを履いて遊んでいた子もいたが、素足で駆け回っていた小さい女の子に目が止まった。あの動物の糞があちらこちらに落ちている所を無我夢中で走りながら遊んでいた。そこにビンのかけらが落ちていたかもしれない。
彼女を見て心から「靴をあげたい」と思えた。はっきりいってボランティアにぜんぜん興味はなかったし、ボランティアをやるのは青年海外協力隊のような自分とは関係のない人がやることだと思っていた。そんな自分が純粋に、そう思えた。不思議な感覚だったが、これがボランティア精神なのかと思った。ボランティアを英和辞書で調べると「自発性」といった言葉も出てくるが、まさに「自発的」に思えたことだった。
後日行ったヘルスセンターもその建設予定地も、トュールスレン博物館も、ごみ山も何もかもが衝撃的だった。ヘルスセンターではカンボジアの医療の現実を知れた。ヘルスセンターといっても規模はとても小さいもので、医療の知識などぜんぜん無い自分でも充実性を図ることが必要なのはもの凄く感じた。ヘルスセンターやその建設予定地まで行く途中の村では貧しさが際立ちすぎていて、家の壁はもはや泥や土を固まらして作ったようなものだった。このような所に普通の旅行者が来ただろうか。トュールスレン博物館ではほんの30年前ぐらいに全土で無謀な社会主義改革で罪なき人々が虐殺されていったポル・ポト政権時代の惨事が伝えられていた。刑務所のようなものがそのまま残されていて負の歴史というものを肌で感じた。実際に使われた拷問用具や骸骨までもが展示されていた。ごみ山でのあの凄まじい悪臭は忘れられない。あのごみで埋め尽くされているところで生活している人もいた。そして、ヘドロのような泥の上を小さい子供が裸足で歩きまわっていた。
カンボジアに行って本当に様々なことを経験・体験した。貴重な人生経験をした。自分が持っていった価値観なんてほんとに小さなものであった。うまく言えないが、どう表せばいいかわからないような、いろいろなもの、大切なものをたくさん得れた。今回得たものは、おおげさかもしれないが、今後生きていくなかで必ずや自分の糧となると思う。そして、最後に滞在中ずっと付き添っていただいたNCTの方々、中心になって計画を担った代表の二人を初めとするメンバー、金銭面、他いろいろな協力をしてもらった親に感謝したい。