「僕らは絶望の中にほほえみを与えることができたのか」
AIDS病棟を去るとき、僕らはそう思った。
お互い確認はしてないが、みんなそう思ったと思う。
「果たして僕らの訪問が患者さんにとってよかったのか」
何度も自問自答した。
弱った身体を写真撮ることが、すごく辛かった。
シャッターのボタンがいつもの何百倍も何千倍も重く感じた。
けど
伝えなきゃいけない。
この現状を伝えて、何か次につながることにしなきゃいけない
そのために僕たちはここにきたんだから・・・・
それが僕たちにできる唯一の支援方法
「大変申し訳ないんですけど、いくつか質問してもいいですか」
葉田が心苦しくも先人をきった。
「いいよ」
彼の名前はLowa Brut 35歳
無口で目は下を向いたまま
生きがいを失っているように僕には見えた。
「ここでの生活はどのようなものですか。一日の生活のサイクル教えていただけますか。」
「たべる。ねる。おわり。」
・・・・・・・・・
なんて返事すればいいか、言葉に詰まった。
すると、ナースとアシスタンスの方が付け足しの説明をしてくれた。
「彼は始め脳炎を患ってたんですけど、徐々に回復してきて、最近では少しづつ話すことができるようになってきたんですよ。基本的には自分では何もできないので私たちがAM7:00~PM7:00を交代制で面倒みます。また一週間に2回月曜日と木曜日にシアヌーク病院からお医者さんが健康チェックにきますね。」
なるほど。医者は常在してるわけじゃなくて、カンボジアの医療センターであるシアヌーク病院から派遣してくるわけだ。やっぱり医者はたりてないんだなぁ~
「ナースとアシスタンスの方はどう役割分担しているんですか。」
「主にアシスタンスは生活面の面倒を見ますね。ご飯作って食べさせたり、髪洗ってあげたり爪や髪を切ってあげたり・・・一方、私のようなナースは患者さんに生きる喜びを忘れないように心理カウンセラーみたいな役割ですね。いろんな話をして単調な生活にさせず、日常に刺激をあたえるような。」
そう答えるのはYun Panhnhavornさん。少し日本にも来たことがあるみたいで日本語もしゃべれる。(写真右)
やっぱそうだよね。AIDSって免疫不全によって普段かからないような感染症にかかって亡くなる病気だけど、精神的にすごく追い詰められるんだろうな。
「もう何年後かには死が待ってる」
そんな絶望の中、彼らは死と隣り合わせになりながら、生きてる。
そりゃおかしくなるよね。
心理カウンセラーがいかに重要か
言うまでもないよね。
本当に患者さんの苦しみを傾聴できる医者が今求められているんだ。
再確認した。
どうしても聞かないといけない質問があった。
けどこれだけは本当に聞きづらかった。
けど、現状をありのままに伝えるには聞くしかなかった。
「どうしてAIDSに感染したんですか。」
・・・・・・・・・・・・・
「カンボジアではAIDSの9割が性交によるものだと聞いております。男性は売春により、女性は自分の身体を売って生活の糧にすることにより感染するのがほとんどと聞きました。Lowa Brutさんもそうですか?」
沈黙がこれでもかってぐらい僕らを苦しめる。
質問した自分らがいかに愚かか思った。
けど、一番苦しいのは聞かれた彼だ。
返事はこないと思ったところ彼の口が開いた。
「そうだよ。売春婦とやって感染したんだよ。」
やっぱりそうなんだ。
いったい誰がこんな事態をひきおこしたんだろう。
歴史背景から言えばフランスの軍人からもたらされた。
しかし、カンボジアにAIDSが爆発的に蔓延した最大の原因は、貧困だ。
国境にカジノが建設され、売春街が巨大化しドラッグや児童買春などが公然と行われいる。教育が行き届いていない農村地帯では、たやすく人身売春組織にだまされ、一ヶ月に400人~800人の子供たちが国外に売られている。また先進国ではたやすく買うことができるAIDS発症を抑える薬もカンボジアの多くの人には高価で手が届かない。この広がる貧富の差と無秩序に発展した性産業こそが、AIDSを蔓延させた理由だ。
Oum Vanny 36歳
PCPのAIDS患者。
彼女誰から移されたかわからないという。
彼女には7歳の男の子と1歳の女の子がいる。
そして7歳の男の子はAIDSだ。1歳の女の子は幼すぎてまだ検査していないから分からないそうだ。
生まれながらにしてAIDS.
この悲劇をどう捉えればいいんだろう。
僕には意味がわかんなかった。
そして、自分の恵まれた環境を再確認した。
ちなみに旦那さんもAIDS患者だが、まだそれほど症状も悪くないので、彼が子供の面倒を見ている。近所の人たちが援助してくれるらしい。
しかし、そのケースは珍しいみたいで、現実にはAIDSに感染したという理由で村を追い出されるということもあるようだ。
Maryknon Thouch Phath 44歳
マトモン州でホームレスだったところを見つけられてこのAIDS病棟に。
彼女も誰から感染したかわからないという。旦那もAIDSで今バットモン州で結核も一緒に患っている。
彼女は精神的に病気をかかえている。まだ現実を受け止めれないでいるようだ。
急に暴れだしナースやアシスタンスに暴力をふるうという。
そんな彼女も最近は徐々に精神的に落ち着いてきたみたい。
スタッフが自腹で彼女のために果物を買って食べさせる。そういった優しさが徐々に信頼関係を築くようだ。
今紹介した患者さんはこのAIDS病棟の2階に入院している。2階は特に症状が重い患者さんだ。
そして次は3階に移動した。
3階は比較的まだ症状が重くないAIDS患者さんたちが入院している。
まずはあいさつ。
「シェムリアップソワ~」
「キャー」
えっ・・・・・
「シェムリアップソワ~(>_<)」
ん?
なんやなんや?
ここの患者さんむっちゃ元気!!!
どうやら若い男が来てうれしいみたい。w
彼女たちは三人でひとつの部屋に暮らしている。
みんな仲良しだ。特にこの女性。
Tong Kumptap 35歳
全く35歳には見えない。非常に若く見える。
日本の女子高生に勝るテンションの高さだ。
ここまで現実を受け止めることができる人もいるんだな。本当にすごい。
こころからそう思った。
けど、彼女もAIDS患者。現実は悲惨だ。
同じ質問をしてみた。
「どうしてAIDSに感染したんんですか?」
彼女は売春婦じゃない。
じゃあどうやって感染したのか?
「夫から感染したのよ。」
カンボジアの一般家庭は結婚するまでSEXはしない。
つまり、初めてSEXした夫から移された。
衝撃だった。
「人生でこの人についていく。この人を生涯愛し続ける。」
と決めた人から移されたのだ。
挙句の果てには、夫には逃げられたみたい。
そして彼もカンボジアのどこかでAIDSという人類が克服できない病気と闘っている。
ちなみに彼女は2006年1月にAIDSと診断された。
話す時の顔はやはり悲しい顔をしていた。
話しながら手は花細工をひたすら作っていた。
患者さんに生きていることを実感させるために、物を作らせ生活に刺激を与えさせるこのAIDS病棟の治療法だ。
いろんな話をしているうちに彼女から意外な言葉が
「一緒に写真とりたい」
そのときの顔は一生忘れない。そのときの言葉は一生忘れない。
最高にうれしい言葉だった。
「じゃあポーズはピースにしよ」
「えっ?ピースって何?」
(えっ?ピースって全世界共通じゃないの?)
と、思いつつ・・・
「ピースって平和って意味なんだ。人差し指と中指でVの字を作るんだよ。」
写真撮る人がクメル語で 3・2・1 という意味で
「じゃあいくよ~ せ~の、モア・ビー・バイ」
カシャ
そのときの写真。
あぁ~見直すだけでも涙ぐむ。
人生で初めて「死を待つ人間」と写真撮りました。
そして、その写真は今までとったことの無い
「最高に生きていることを証明させる写真」
に仕上がりました。
よっぽどうれしかったのか、彼女たちのテンションは絶頂に!!!
こうなったらとまらない。
私も私もと次から次へと写真とった。
そして、僕はなにもためらいも無く彼女と肩をを組んだ。
「お~!!!」
スタッフの人からどよめきがあった。彼女からもすごい喜ばれた。
どうやら、スタッフ以外の人間と肌が触れ合ったのは久しぶりみたい。
このボディータッチが彼女らにとって何か壁を越えたみたいだ。
本当にうれしがっていた。
そしてそれがなんともたまらなく嬉しかった。
それからなんと佐野にお呼びがかかった!!!
「一緒に撮りたい」
うむむ。
なんやなんや~
佐野モテモテじゃね~か~
まだ症状の軽い3階の患者さん。
そしてベットから動くことのできない2階の患者さん。
前者には楽しい時間を与えることはできたかもしれない。
しかし、後者には僕たちは何をしてあげられたのだろうか。逆に質問することで気を悪くさせたのかもしれない。
もう一度自問自答してみる
僕らは絶望の中にほほえみを与えることができたのか
真剣に考えた
今も真剣に考えている
けど、答えはでない
ただ1ついえることがある
それは
僕らにできることは、自分で現状を世の中に伝えることができない患者さんの姿を記録し続けること。彼らの姿を一人でも多くの人に見てもらい、そしてこの問題を一緒になって考えてもらうことが、患者さんたちの過酷な現状を変える第一歩になると、僕らは信じている。